元々の記事とはあまり関係ないが、これには妙に納得した。

404 Blog Not Found:授業には適度な無駄が必要である
学習というのは、玉石混淆の場から、玉を拾っていくという行程だからだ。
高効率授業しか受けていない者は、低効率現場において右往左往するだけである、と。

会社で年々効率化されていく新人教育に対して、確かに会社としてはそれなりに人数も増えているしそういう方向はもっと突き詰めていくべきだとは理解しながらも、同時になんとなく感じている違和感はこういう事なのかもしれないな、と。

たぶん優秀なのはわかるのだが、現場の仕事を遂行していくにあたっては、なんとなく頼りなさを感じる事が多くなった気がする。

細かな事まで「お膳立て」がきちんとされていないと、「普通の人」だと何をしていいかよくわからない感じで無駄な時間を費やしがちになるし、「優秀な人」だとその「お膳立て」を求めたりする。ここまではたぶん私が新人の頃とそう変わらないと思う。で、そういう「お膳立て」を求める事自体はいいけど、それを用意するのは自分の仕事ではないという割り切りがあるようで、そうすると問題を認識しているわりに問題解決自体は遅くなりがちだったりする。

「お膳立て」がきちんとできていないのは上司とかリーダーの力量の問題である場合も多いので、そういう要求を否定することはできないのだが、足りないものがあっても自分なりになんとかして基本的な目的を達成していけそうな力強さが最近の若手からは感じづらくなっている気がする。

「誰が書いても同じコード」は大事なことなのか - ひがやすを blog
今の大手SIerのやり方の問題は、スキルのあるプログラマの能力を殺してしまっているところにあると思います。だめな人に失敗させないように、がちがちに縛るんだけど、だめな人はやっぱり失敗するし、できる人もがちがちに縛られて力を発揮できない。

大手に準じたSIerとしての教育がうまく行きはじめているのか、プログラミングに限らず仕事全般においてがちがちに縛る事が正しいと信じている人は増えている気がするし、若くして「できる人」は自らあえてがちがちに縛られようとしているようにも見える。
たぶん真面目すぎるんだよね、私的にはピントがずれていると思う事が多いけど。

この傾向はここ数年いた身の回りだけの話で、例えば他の部署へ異動したらまた違うのかもしれない?
それはそれで単に昔からあまり進化していないだけだったりする可能性も十分ある。