中学生の時か高校生の時か忘れたが、中途半端にちょっとだけ読んで、
気になりつつも放っておいたデビルマンの原作を
衝動的に全5巻購入して、一気読みしてしまいました。

特に最後5巻の終末へと向かう急展開の連続は終始テンションが高く、
一気に読みきってしまわずにはいられない感じでした。
永井豪自身が、デビルマンを描きながら「頻繁にトランス状態に陥ってしまう」
と言っている事がよくわかる感じがした。
むしろ、そうでなければ描けないよ、きっと。

それにしても、ネット上には数年前に公開された実写の映画「デビルマン」
酷評する内容が溢れかえっている感じなんですね。
渋谷の山手線のホームにでっかい広告が出ていた時期があったのだけは覚えていますが、
知らなかったので今さらながら驚きました。

YouTubeではOVAの「AMON デビルマン黙示録」のかなり部分が
見れてしまいそうな感じですね。 実際に作品を見たわけではないので
実際どれだけ見れているのかはわかりませんが。
それにしても、ここで描かれていたヒロイン牧村美樹のイメージは、
かなり違和感を感じました。このOVAの物語のポイントを考えれば
理解できない事ではないのだが、ちょっとキレイに描き過ぎかなと。

原作でも最終的には暴徒化した群集に殺されてしまうのだけれども、
それでもできる限りの抗戦をしていて、相手は「心が悪魔化した」暴徒だとはいえ、
確実に何人かは殺している。サタンが人間の恐怖をコントロールする事で
人間同士が殺し合い自滅するよう仕向けたわけだが、
その人間同士の殺し合いを作品中で最も強烈に描いた場面において、
美樹も一役買っているのだ。そういう所も、単純な善悪の構図では
捉えきれない複雑なものにしていて、原作が持つある種の「毒」だと思うのだが。

でも、アニメ化するなら、まずは中途半端になってしまっているらしい
原作に忠実なアニメ化を実現して欲しいと思う。

漫画という形式は、絵というビジュアルが提示されているとは言っても、
やはり読み手それぞれに独特の想像力とかスピード感があるから、
受け取り方の違いはアニメや映画に比べて大きくなるのではないかと思う。
その漫画という形での傑作は、アニメや実写になった時には、
制作に関わった人達の受け取り方が色濃く反映されて、
批判はある程度避けられないものなのだと思う。

だから、原作と同じような感動を期待するものではなく、
「こういう解釈もあるのか」という所を発見する事で、
逆に自分自身の受け取り方をきちんと言語化する手助けになるものかなと思う。